今日は外国でたまたま会った現地に住む普通の人たちの、人生のとても個人的な話を聞かせてもらった体験についてご紹介します。
今から20年以上まえ、私はカナダとアメリカ西海岸のツアーに母親と参加しました。そしてその3年後には私はロンドンの学生寮に住んでいました。
目次
カナダ~サンフランシスコツアーとエスプレッソ
カナダでは湖を巡りながら、切り立った氷河の雄大な景色に触れ、
サンフランシスコに着いてからはケーブルカーを乗り継いで街めぐりをしながら、ピアで地元のシーフードを堪能するという極めて能天気な旅でした。
サンフランシスコのチャイナタウンの中華料理はレベルが高くて、その時食べたブロッコリとホタテ貝柱の炒め物は、今までの人生で食べた中国料理の中で一番おいしかった!
ただね、グループでレストランに行ったところ、飲み物だけはキャッシュオンデリバリー。ウェイトレスさんニコリともせずに現金をもぎ取っていくようで「感じが悪い!」と機嫌を損ねている母には気を使いましたよ。
Dangerous District 危険区域
海外の大都市に行くと、たいていの場所でそうであるように、立ち入らないほうがいいですよ。と言われる地域があります。犯罪多発地域とか。
で、サンフランシスコの街で泊まった日系の大きなホテルのすぐ北側にその Dangerous district があったのです。ホテルの人に、その通りを渡ってはダメ。と言われていました。
ああそれなのに、早朝の散歩に出た好奇心のつよい老母に引かれるように私たち二人はその一角に入り込みます。なぜなら店の前の歩道にEspressoという文字が躍る看板が立っていたからです。
実は母は前日にサンフランシスコで買い物をするうち、生まれて初めてデパートのカフェでエスプレッソを飲み、いたく感動して大好物の仲間に入れていた。
ねえねえ、エスプレッソ、飲んでいこうよ。
と牛にひかれて善光寺レベルで有無を言わさず、母は私の袖口を引っ張りながら危ないDistrictの早朝のカフェに入って行きました。
「ここで何か事件に巻き込まれたら私が何とかしないといけないんだろうなああああ」と長いカウンターに座って半分ヤケクソ気味の私の隣で、ご希望通りのエスプレッソを手にしてご満悦な母とおしゃべりをしていたときのこと。
母の座る席の2人分くらいの席を空けたあたりにビールの小瓶に口を付けてちびちびと飲んでいる男性が話しかけてきました。
早朝のカフェでビールを飲む男性
たぶんまだ30代後半くらい。
デニムの上下を着ていて金髪のぼさぼさ頭がキャップからはみ出しています。いかにも工場のラインで作業をしているような雰囲気の男性です。
私はとっさに母とその男性の間に入り込み、心臓バクバクなのに、素知らぬ顔で母と話を続けているように振舞っていたところ、彼が話しかけてきました。
「僕が何か危ないことをするかもしれないと、怖がっているでしょう?でも大丈夫。僕はなにもしない。
今、夜勤明けで家に帰る前にくつろいているだけだから。
それよりも、いくつか質問してもいいですか?」
正直、とってもびっくりしました。私の警戒心はしっかり読まれている。もし普通の人だったら私は大変失礼なことをしたことになります。実際そうです。今になって申し訳ないと思います。
その街で生まれ他の場所に出たことがない
Of course, you can go ahead.
(もちろんです、どうぞ)
その後の彼と私のやり取りはこんな内容でした。
彼「どこから来たの?」
私「日本の東京」
彼「そこはどれくらい遠いの?飛行機で何時間?」
私「13時間くらいかな」
彼「実は僕はこの街から出たことがない。ここで生まれ育って、夜働いて、夜勤明けにこうしてここでくつろぐのがDaily routine(日課)なんだ。
こんな話をしてくれる人なら私たちに危害を加えることはなさそうだな。と安心したのでその後しばらく雑談をしました。
そしてその男性は席を立つと私たち親子の後ろを通り抜けてドアを出ながら振り向いて
Have a good day!
よい一日を!
と私たちに一声掛けると出ていきました。極めて普通の、危なくない男性でした。
ロンドンの学生寮で
いま振返ればそれからわずか3年後、私はロンドン大学の学生寮に暮らすことになります。住宅ローンを払いながら会社を辞めて社会人留学をしたのです。
直前まで在籍していたバクスターという医療機器メーカーで、上司評価を含む360度フィードバックという他者評価プログラムを企画・運用したことがきっかけでした。
企業内で実施する評価って何らかの形で当人の社会人人生を左右しますから、専門知識がないのに仕事を続けることに「なんだかなあ?」っていう漠然とした罪悪感をもってしまったのです。
ロンドンSE16地区での学生寮暮らし
学生寮は5人がワンフロアに暮らし、それぞれバストイレ付の個室はありますがキッチンと巨大な冷蔵庫を共同で使うようになっていました。
比較的新しいDean House という建物で、冷暖房がうまくはたらかなかったり、ドアが油ギレですごい音をたてるようになったりと、自宅で過ごすことに比べたらいろいろ起きます。
不具合が起きたら管理事務所に電話すると、大工さんを手配してくれます。
ある日の午後、私がキッチンで遅めのランチを作っていたところ、いつもの大工さんが入ってきて、キッチンにある小さなボイラー室の扉にカギを取り付け始めました。
さっそく話しかけたのは私のほう。
私「なにしてるの?故障してないと思うけど」
大工「カギを付けるように言われたんだ。暖房はもう止めないといけないのに、だれかが勝手にオンにするんだって」
私「。。。。。」
その犯人は私です。
3月いっぱいで学生寮の暖房は止められるのですが、朝晩はまだまだ寒い。ということでボイラーからパイプヒーターに温水が流れるよう開栓していたのです。
一緒に暮らすフラットメイトたちのために、いいことをしているつもりでもありました。
とうとう事務所側はボイラー室に施錠をすることにしたというのが事の真相。
ロンドンに暮らして感じたのは、こちらから話しかけないとまるで私がいないかのように無視され続けるけれど、いちど言葉を掛けると東洋人の中年女性に次々と話しかける人が多いと言うこと。これは男女を問わずそうでした。
コインランドリーのお姉さんしかり、この大工さんしかり。
大工「君はどこから来たの?」
私「日本の東京」
大工「ロンドンのセントラルに行ったことある?買い物はどんなところへ行ってるの?」
セントラルへはひと月に1度くらい出かけていましたし、バス一本で行ける隣町のルイシャム*にもたびたび日用品を買いに行くことを告げると
(*映画『ブリジットジョーンズの日記1』に消防署が出てくる街)
「僕はね、この街で生まれて、よそに行ったことがないよ。ロンドンのセントラルも行ったことない。おやじもこの街で大工だった」
ほんとうなの~?と信じられない気分でしたが、そういえばサンフランシスコで会った男性も同じようなこと言ってたわ。と思い出していました。
街から出たことがないという人生
自分自身は変化が苦にならず、むしろ好きなくらいです。海外を含めて今までの人生で10回以上引っ越しています。
行きたいと思ったところはたとえ海外であれ、3日前であれ、さっさとネットで予約して中サイズのキャリーケースをカラカラ引いて出かける。
そういえば1年前の今頃はNYCの元同僚のところに泊めてもらいながら観光をしていました。
でも、そんな自分とは正反対に、生まれた街からでることなく、もちろん他国に行くこともなく暮らしている人は決して珍しくないようです。
NHKの「鶴瓶に乾杯」
首都圏では毎週火曜日に放送される私のお気に入り番組ですが、ロケ先で鶴瓶さんが出会う家族の中に、その街で生まれ育って年齢を重ねているお年寄りがいることは珍しくない。
海外にも行ったことがないかもしれません。
私が比較的、どこへでも何の抵抗もなく一人でも出かけますが(むしろ出張でもほとんど一人旅)、それを可能にしているのは好奇心と行動力、そして絶対欠かせないのが気持を載せて話せる英語です。
もし英語が自由に使えず、翻訳機に頼っていたら初めて行った遠く離れた海外の街の一角で、とても個人的な話をすることはなかったかもしれません。
生身の声で感情を込めてやりとりするからこそ、相手の方も安心して人生についてはなしてくれるのかな?と思っています。
翻訳機に頼らないからこそ心の交流が生まれる
感情を乗せて英語を話せるということは、情報のやり取りにとどまらず、初めて会った人との交流を自然な形で外国人とできる生活を一生送れるということなんです。
私が英語を集中的に身に付けたのは20代後半でした。日本生まれで日本育ち。
海外経験のない私が38歳で留学できたことを含めて、英語が話せない自分と比べると 幸福感は120% なんじゃないかな?と思います。
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