この記事は自分の職場に外国人上司や同僚の方が入ってきたという方のための身近な異文化体験についてのものです。
研修計画で文化のギャップに驚く
少し前の話になります。
お母さんが日本、お父さんが韓国のルーツを持つ20代の若者と出会う機会がありました。
彼はオーストラリア育ちで英語が一番得意。日本語も少しはできるとのこと。
もしわたしに息子がいたら、彼くらいの年でしょう。
彼が好きなラーメンの話で盛り上がるうちに習慣の違いの話になり、突如、20年以上前の新卒研修のことを思い出しました。
当時、わたしはアメリカの医療機器メーカーで教育担当をしていました。
新卒新入社員研修は担当研修のなかでも大きなイベントの一つです。
その年は諸経費が削られて新卒の採用が少ない年でしたが、いつもの年と違うのはアメリカ出身の新入社員が2名いたことです。
2人ともルーツは日本で見かけも日本人です。
新入社員研修というのは他の研修と違って一生の中で一度しか受けられません。
なぜならその後、何度転職しても中途採用とみなされ、基本的な言葉遣いや所作(接遇)を基本から学ぶ機会がないからです。
この時期に身に付けた接遇はその人の社会人としてのマナーのレベルを決めてしまいます。
キチンとしたお辞儀、名刺交換、敬語をふくむ言葉遣い
報告・連絡・相談(いわゆるホウレンソウ)
だから連日、講師の私も新入社員たちも緊張の連続。正直、1日の終わりにはお互いヘトヘトになります。
そこで日程の中に、郊外のゆったりした場所での合宿を組み入れました。
そして夜は温泉につかりながらみんなでまったり~。わいわいがやがやと同期の親睦を深めてもらえればいいな、と思ったのです。
ところがこのプランを発表するとアメリカ育ちのうち1人が私のところへやってきて
「僕は温泉には入りません。他人の前で裸になる事はありません。
家族の前でも裸にならいし、裸になるのはガールフレンドの前だけです」
と、キッパリ。
そういう感覚の違いには事前に思い至らなかったけれど、素直に
あーなるほど
と思って彼にはホテルの自室のシャワーを使うように話をしました。
でもね。。。。
後日、彼の同期から聞いたところによれば
彼は水泳用パンツを履いて嬉しそうに温泉に登場し、何度も飛び込みをしていたそうです(笑
一旦、自分は温泉に入らないと公言したものの、やはり同期の仲間と一緒にお風呂に入りたかったのでしょうね。
彼の中でも葛藤があったに違いありません。
この話を例のオーストラリア育ちの彼にしたところ
“I had exactly the same experience when I was eight years old!”
とお母さんと一緒に日本に里帰りしたときのことを話してくれました。
彼は温泉は裸で入るということを知らされないまま、お母さんと別れて男湯の暖簾をくぐってびっくり。
後で Hey, Mum! You didn’t tell me!
と抗議したそうです。きっと恥ずかしさで顔が真っ赤だったかもしれません。想像するとなんだか可愛らしいですね。
今でもこの文化のギャップは縮まっていない
最近、同じような体験談を30代初めの方からも聞きました。
日本に来たイギリスからの大切なゲストを温泉旅館に招待して大風呂に入ろうとしたところ
「断固たる拒絶を受けた!」
そうです。
一方でうちの近所のスーパー銭湯に行くと、お客さんは日本人よりも外国人のほうが多い。
中国や韓国、時として東欧からの人など、他人の前で裸になることが皆に受け入れられています。
江戸の銭湯の様子には趣味の落語を通じて詳しいのですが当時は混浴で、老若男女を問わず、みな裸で狭く薄暗い銭湯に入っていたということです。
同じ日本の中でも時代とともに文化・風習は変わってきたんですね。
これから職場に外国人が増えると例えば;
社員旅行を復活しよう!
夜は温泉に入ろう!
と企画する際にそれを受け入れがたい人がいるかもしれないということを
常に事前に考慮したほうがよいです。
温泉に限らず、一緒に飲食したときのお会計。
日本人の多くは割り勘に慣れています。または男性少し多めにお支払が暗黙の了解になっています。
でも自分が飲食した分しか払いませんと主張する人も出てきそうです。
慣習が違うときにとかく日本人は対立を恐れて相手の話を受入れてしまいがちです。
そしてあとでモヤモヤ感が残る。
でも、実は腹を割って話せるよい人間関係を築くためには日本の習慣について言葉で説明したうえで
異文化から来た人の希望、言い分にも冷静に耳を傾け、お互いがWin-Winの着地点を探っていくことが必要になることでしょう。
アサーティブネスという考え方
集会や演説、話し合いで感情的な言い合いになるのをたまに見かけることがあります。
でも本当は感情的になる必要はないんじゃないかと常々思っています。
自分の意見を説明するのは必ずしも失礼にはあたりませんし、なにも感情的になる必要もない。
穏やかに、筋道を立てて、時に微笑みながら話すのもありです。
グレーゾーンを残さずお互い納得できるように着地点を探るのは、相手を尊重することの表れでもあります。
自分にも相手にもモヤモヤを残さず、しっかりと主張する。「アサーティブネス」と言いますが、
これについてはまた別の機会にお話したいと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。